スペイン紀行

スペインあれこれ

日本とスペイン

日本とスペインとの関わりは天正遣欧少年使節なのですが、遅れる事30年後の1612年の慶長使節の方が実質的な使節団であろう、慶長使節とは奥州伊達正宗がスペイン国王に送った使節団、支倉六右衛門常長を代表として正宗の意をスペイン国王フェリペに伝える為、目的をスペインに定め送った使節団で、天正遣欧少年使節とは目的国と内容が違っていた。

スペイン国内にサムライの銅像が在る事をご存知でしたか?、ココはセビージャから約25キロほどグアダルギビル川を下った処に在ります、支倉六右衛門がスペインへ初めて上陸した地コリア・デル・リオ、この村には400年経った今でもサムライの子孫が生き続けている、その子孫たちはサムライ日本の誇りを持ち、今も村の人口の3/1が「ハポン」姓を名乗っている。

グアダルキビル川の畔に立つ支倉の銅像、パルケ・カルロス・デ・メサに日本に向かい凛と立つ、この銅像を管理しているアユンタミエント(村役場)は、「銅像を清掃しているがイタズラをされる事が無い」、日本人の子孫である事を誇りにしていると言っている、スペイン広しと言えども鳥居と銅像が建っているのはアンダルシアのコリア・デル・リオだけ。

コリア・デル・リオ、名前の様に村は川に沿って在り古くからの港町、セビージャまで川を上れば20キロほど、古来防衛上の観点からセビージャに入る前に、コリア・デル・リオで上陸させていた。

丘の上に小さな礼拝堂が在ります、村から港(川)を見下ろす様な処に在り風が爽やかに通り抜ける、礼拝堂の名前はサン・ファン・バウティスタ、名前は支倉が太平洋に踏み出した船名がサン・ファン・バウティスタ、この村に残ったサムライが遠き故国を思い、改宗をしたキリスト教礼拝堂で祈りを捧げたのでしょう、私が初めてこの地を訪れた時には日本人は珍しく、興味本位で訪れた私にも優しく接してくれました、今は日本人も多くコリア・デル・リオを訪れる様になり、日本語の案内板も有ったりして親近感のある村です。

誰も知らないセビージャ近くの村に日本語の案内板が有るって、なんて素晴らしい事ではないですか、マドリーやバルセローナにも日本語の案内板が有りますが、何処も日本語の部分だけが見えない様にイタズラをされている、隣国の下等な人種がやっている様だが、流石に下等な連中も此処までは来てない様だ。

コリア・デル・リオの在る理髪店、ココはスペインの片田舎ですよ、おそらくスペインで理髪と漢字で書かれているバルベリアはココだけでしょう、残念なのがエアコンが腐った国のを使っているのが減点ですね。

コリア・デル・リオのメルカド・デ・アバストス、非常に寂びれていましたセビージャに近いため、この村も段々昔の面影が無くなって行くのでしょうね、コリア・デル・リオに訪れるのは今の内ですよ。

*アバスト(日用必需品)